1月20日の朝、校庭は今までに見たことがないほどの白いベールに覆われました。私の38年間の教員生活初の「暴風雪警報」による学校休業日となりました。台風による暴風警報で休みになるときとはちょっと雰囲気が違います。横から打ちつけるような雪が、やがて縦に深々と降り始め、知らないうちに音もなく止みます。しばらくすると明るくなって陽がさし始め、雪上面を真っ白に輝かせます。誰もいない校庭にもったいないほどの時が過ぎていきました。 さて、雪も雨も小さな水の粒から生まれます。分子レベルでは同じです。しかし現象的、感情的にはずいぶん違った印象を受けます。私は日常的に多くの人々と接しています。相手が家族・友人であったり児童・保護者であったり、交渉や謝罪の場もあります。その時に気持ちを伝える方法として言葉が必要になります。雪のようにふんわりと使うか雨のようにばしゃばしゃと浴びせるか暴風のように言葉をぶつけるか…。同じ気持ちを伝えるのに言葉の選び方、使い方(表情・スピード・大きさ)で伝わり方や結果が変わることもあるのです。教育の現場はまさにそれが最重要であり、忘れてはならない永久の課題であります。 視点を家庭に移してみましょう。無限の愛情を注いで子どもを育ててくださる親の立場でも同様のことが言えるのかもしれません。子どもに「なぜできない」とか「だめじゃないか」に代わる言葉はないでしょうか。 私はマラソン大会やリンゴ皮むき大会や運動会で必ず子どもたちに伝えている言葉があります。それは「昨日の自分を今日の自分がこえるように努力しよう」という意味合いの言葉です。競争相手は自分自身です。これは多様化する大人社会になればなるほど必要な視点になると思います。 富士見小学校区は保護者も校区の方も学校をとても大切にしてくださいます。期待と信頼を頂いている学校もそれに応えられるよう改善を続けています。それこそ「昨日の富士見小より今日の富士見小」を意識して…。 私は四年間、あいさつの種を蒔き、花を咲かせようと言い続けました。それに応えて頑張っているこどもたちと、温かく応援したり見守ったりしてくださる校区の大人たちを誇りに思います。 私事ですが、本当にお世話になりました。私はだれよりも幸せ者です。 ありがとうございました |
2016年02月26日
校庭の雪景色から思う
27年度6年生卒業文集より
28年前の卒業生一同より
6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
この写真は、学校の玄関を入ったところの正面を撮影したものです。チーク材と呼ばれる木製のスプーンとフォークの彫刻で、第4回の卒業生による作品です。いつもそこにあるので、つい見過ごしていましたが、足を停めてじっくり観てみるといろいろとおもしろいことに気がつきます。細かいことを言い出せばきりがないのですが、とにかく一本一本がすべて違うのです。どの作品からも作者のそれぞれの声が聞こえてくるようです。28年前の6年生のつぶやきやささやきが…。そして子どもたちの笑い声が…。
SMAPのヒット曲で槇原敬之作詞作曲の「世界にひとつだけの花」という歌があります。
♪ 小さい花や大きな花
♪一つとして同じものはないから
♪No.1にならなくてもいい
♪もともと特別な Only one
まさにその通りです。朝会でも話しましたが、君たち一人一人には、その人にしかできない何かが必ずひとつは潜んでいます。どんな人にも必ず!もう一回言います。どんな人にも必ずあります。
だからそれを信じて、目と耳と口と手足を使って生きてください。
そしてもう一つ。このスプーンとフォークの作品は、すべて柄の方向がそろっています。貼り付けてある位置もきちんと等間隔にそろっています。つまり、一本一本の形はそれぞれ違っていても、配置の約束やルールをきちんと守れば、何十年経っても人を感動させる大きな力をもち続けていける作品になるのです。この文集も…。
最後に,子つばめ隊の活動ありがとうございました。きっとみなさんの後ろ姿で下級生は学んだと思います。君たちの笑顔も涙も輝いていました。
…それでは、すべての思いを込めて
「ありがとうございました」
大竹 良夫
2015年04月18日
卒業記念文集への投稿です
卒業生のみなさんへ
6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
みなさんにとって、この富士見小学校の6年間はどうでしたか?楽しいとき、苦しいとき、うれしいこと、嫌だったこと…いろいろなことがあったと思います。そしてそれらのこと全部が、みなさんの心の財産です。
教育目標の「丈夫な心と体」はそう考えてみてください。
だから苦しいことを避けたり、嫌なことから逃げたりしないでください。それはとても苦い心の薬であり、体の栄養なんです。
さて、リンゴ皮むき大会は富士見小の伝統行事ですよね。生きていくためには,刃物など道具の正しい使い方を必ず学ばなければなりません。そうしないと自分や他人を傷つける恐ろしい凶器に変わることもあるからです。そんな視点から今の君たちの生活環境を考えてみると,インターネットや携帯電話はどうでしょうか?包丁のように直接的に肉体を傷つける道具ではありません。でも一歩間違うと自分を傷つけたり人を傷つけたり、場合によっては自殺に追い込む道具に変身します。ひとりを集団で傷つける殺りく兵器です。包丁の正しい使い方を知るのと同じように,インターネットや携帯電話の正しい使い方を学ぶ必要感を強く感じます。物事を言葉や文字や映像を通して学んだ気になる、というのは容易なことです。でも、実際はその記憶が残るだけで何も習得していないのです。本物を手にとり,ひとつひとつ段階的に具体的な練習をし、小さな失敗を経験をすること,そして繰り返すことでのみ習得できるもの。それが正しい道具の使い方だと私は考えます。
「深く考える」とは、このようにりんごの皮むきひとつのことからいろいろと考えてみることなのです。
そんな視点でこの文集に綴られたひとりひとりの思い出を読むと君だけの富士見小学校の姿が見えてくることでしょう。6年間で何を学んで成長したのかを読み返すたびに問い直してみてください。
最後に,子つばめ隊の活動ありがとうございました。きっとみなさんの後ろ姿で下級生は学んだと思います。
それでは、すべての思いを込めて
「ありがとうございました」
大竹 良夫